Kartin Lab

アスペルガーとハスキーとガーデナーが織りなすB型な日々

違和感の正体 エンパシー

悲しい事件や事故のニュースを観るたびに抱いていた違和感

悲しいのは事実

悪いことをした人の存在も事実

それを否定する気はない

 

ただ、悲しむ姿にカメラを向け、涙をこらえてインタビューに答えるシーンに??

それを100歩譲ったとして

それでも気になるのは、社会性のある事件が起こったとき

被害者への同情ばかりが報道され、社会問題のほうは放置されている

  

「二度とこのような事件が起きてほしくなありませんね

 そのために私たちは何をどう考えなければならないのでしょうか?」

 

なんて、体のいい言葉で締めくくるのは意味が無い

ニュースを観ている側が考えるのは

 犯人を少しでも厳しい刑で罰し、二度と社会に出てこないでほしいということ

確かに、一般人の心情と法解釈との間に乖離があることは認める

だけど、厳しく罰するために、非難の声を多く茶の間に届けるとか

お涙頂戴のシーンを数多く流すのはどこかが違うと感じてきた

 

何が引っ掛かっているのか今日やっとわかった

「シンパシー」と「エンパシー」

 

幼い子供が亡くなれば、かわいそうだと涙が出るし

親になった今なら、親がどんな気持ちなのかと想像して胸が苦しくもなる

これはシンパシー「同情、共感」

 

一方、犯人に対しては憎悪しか湧かないことが普通

だけど、犯人側にも事情がある

虐待する親にも・・・

 

私の別れた夫にも事情があった

私の人生返してよと恨む気持ちも吹っ飛ぶ事情

彼もまた子供時代被害者だったのだ

周囲、親族はそれに気づいていたのに、幼い彼を助け出さなかった

それでも彼は必死でより良い人になろうと努力を続けた

良い人とは「完全無欠な人間」だと考えていた

その方向性が間違っていたからうまくいなかったんだと思う

そんな間違った方向性に他人である私を巻き込み

不完全な私や子供たちを完ぺきな人間に作り替えようとした

事情の全てを家族ぐるみで隠ぺいして・・・

 

このような負の連鎖は犯人を死刑にしても終わらない

ということまで考えるのがエンパシー

日本の辞書にはエンパシー「感情移入」と簡単にしか書かれていないけど

正しくは「他人の感情や行動を理解する能力」なのだ

(ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーより)

ここまで考えたら極刑を望むなんて簡単には言えなくなるよね

ムカつく相手の行動原理を理解したうえで判断や行動を起こすってことだから

 

 

ご長寿を祝い、子供の貧困に涙するというのもダメ!

 

年金不足分を補填するために税が使われる

子供を貧困から救い出すためにも税は使われる

財源は一つ

互いに取り合いになっていることに気づけないといけない

 

払った分の年金を取り返したいけど、長生きすると貧困にあえぐ子供を救えない

無関係だと思っていた自分自身が、いつの間にかとても苦しい状況に追い込まれる

議論とは、そこから始めるものだと思う

 

待機児童のことばかり考えていたら

待機高齢者のほうが実は多かった

自分はどっちに所属するのか、どっちを応援するかという考え方だと

世代で社会が分断されてしまう

 

物事はすべて繋がっていてる

そんな風に考える習慣が身についていないと、議論にならない

かわいそう理論に流され、結局何もできない

 

違和感の正体がわかり

これでやっとニュースを観ながら悪態をつかなくて済みそうだ

 

    by テレビに向かって悪態をつくのは齢のせいだと思い込んでいたガーデナー