Kartin Lab

アスペルガーとハスキーとガーデナーが織りなすB型な日々

シュレーディンガーの猫?

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うちの猫ではなくて 相棒の友達の野良 毎日水を飲みにやってくる

我が家の相棒はお人好しなので、一方的に猫を友達と思い込んでいる

でも、猫のほうは・・・

相棒の姿が見えてしまうと逃げちゃうから、この写真はレースのカーテン越しに撮影

 

で、この猫がシュレネコなわけではなくて

叔母の姿を見ていたら

齢を重ねると人は量子の世界に近づいていくような気がしたのです

量子コンピュータで少しだけ一般に知られてきた量子物理

いつでもフラフラ、あっち行ったり、こっちへ来たり、不確定な状態を維持している

 

お世話になっているヘルパーさん達が弟を失くした叔母が気落ちしてやしないかと

個人的に立ち寄ってくれている

その気遣いに感謝するとともに、よく気の付く人たちなんだなぁと

気の利かない私は恥じ入ってしまう

 

がしかし・・・

叔母は既にそういう世界に存在していないというのも事実のようです

 

あの世とこの世をフラフラと、あっちへ行ったり、こっちへ来たり・・・

亡くなった人達が戻ってきているから、叔母はあまり寂しさを感じていないのです

 

弟が亡くなったことを理解している瞬間もある

でも、次の瞬間弟はまだ生きている

妹も、お父さんも、お母さんも、みんな生きている瞬間がある

叔母があちらへ行ってしまうのか、家族が帰ってくるのかわからない

でも、そこに確かにいる瞬間がある・・・らしい

 

テレポーテーションは理論的には出来る

でも現実にはできない

ハリーポッターの「姿現し」はまさに量子の世界そのもの

体を構成するすべてが一緒に壁の向こうへ移動できれば通り抜けは成功

でも、体の一部分でも通り抜けられなければ失敗

大事なのは一緒に、とか、同時にというところ

不確実な状態で裏と表をフラフラしていては一斉に壁を通り抜けられない

だから現実にはテレポーテーションできない

 

だけど、齢を重ねるとそれが出来てしまう

そうやって、死と向き合うのか、死の恐怖を克服するのか

まだ若い(叔母よりは)私にはわからない

 

人は体という構成要素をこの世に残し

魂という一つの要素だけになって

軽々とあの世へテレポーテーションするのでしょう

 

子供へ戻っていく叔母

ヘルパーさんが持ってきてくれたスーパーのお寿司より

出前で届けてもらったお寿司のほうがおいしいと分かっていたのか

ヘルパーさん達がお話ししましょうといくら呼んでも

頑として出前の寿司桶の前から動きませんでした

 

まぁいい

イクラと鮭が好き💛といって、いつもよりたくさん食べられたからね

そういえば一昨日もイクラと鮭のクリームパスタを注文してたね

健康にいいとか悪いとか、もうそんなことどうでもいい

好きなものを食べてださい

 

言葉ではなくて、生き様そのもので色々と教えられているような

ボケちゃってるけど、役所に勤めていた自負から事務手続きは自分でやりたい

だけど実際にはできない

私自身が一世一代の大仕事をこなしている最中なので

マジ忙しいのに!と腹の立つ日もある

フラストレーションの発散場所が無くて

明日も2時間かけて向かわなければならないと分かっていても

真夜中にブログに愚痴ったりしている私。。。まだガキ

 

齢を重ねるということは

それだけで尊いことなのかもしれないと

考えさせられています