Kartin Lab

アスペルガーとハスキーとガーデナーが織りなすB型な日々

痴呆VS認知 時空を超えて

以前、ボケ老人のことを「痴呆症」と呼んだ記憶がある

今時は「認知症」という

それは呼び名が改訂されたに過ぎない

だけど、そこには大きな大きな発見と後悔の念があったに違いない

と、勝手に考えている

 

痴呆というと聞こえが悪い

なんとなくバカになってしまった感じがする

だから呼び名を変えた、訳ではないと気が付いた

 

物忘れが激しい、何度言っても新しいことは覚えない・・・これは確かにボケ

「メガネが無いんだよ、どこへ行ったかな?」

「おでこに付いてるよ」

「朝ご飯、何食べたっけ?」

「もう忘れたの?」

 

だけど、認知症は違う

有名なのは「朝ご飯まだ食べてない」だけど、そんな生易しいことじゃない

認知ができないとはどういうことかを

目の当りにしたら悲しくなる

 

時間と空間(場所)の認知ができない

 

時間が認知できないと

今日は何月・何日・何曜日?

どころか、今年が2020年であることも分からない

ついさっきまでオリンピックイヤーとか話していたのに

回線が途切れて認知が出来なくなると、急に1930年とかへワープしてしまう

 

そうなると、孫と話していたはずなのに、孫が娘に見えてくる

テレビと同じ形なのに、テレビ放送してくれないパソコンに腹が立つ

 

パソコンが何であるかを説明されても認識できない

それが恥ずかしくて更に腹が立つ

時が流れ、時代が変わったことはもちろん認識できない

感覚的には江戸時代から突然やって来たサムライ的な「時空物」かも

 

それだけじゃない

 

場所が認知できないと

自宅に居ても、そこが洞窟の暗闇になる

道路の真ん中にいても、そこがリビングになる

だから、危ないでしょと叱っても意味が無い

ここに居なさいと安全な場所を提供されても

そこは本人にとって、その時は、ライオンの檻かもしれない、だから逃げる

 

体の具合が悪くなれば

自宅から病院へ、病院から介護施設へと、目まぐるしく居場所を変えざるを得ない

残念だけど、病院に長くいたら病院を認知できるわけじゃない

病院から介護施設への移動に予行演習を挟んだら認知できるわけじゃない

 

闇を彷徨う気分なのか

天国とはずいぶんとつまらない場所だと思うのか

無実なのに牢屋へ入れられ、挙句、別の刑務所へと護送されると感じるのか

アウシュビッツへ収容されたユダヤ人になり切るのか

 

彼らは分からないなりに理解しようと努めている

その結果が摩訶不思議なストーリーとなって披露される

「何言ってんの?」

そう否定することは簡単だけど、彼らが考え抜いた物語には

その人の、ひととなりが現れる

 

だから、そこんところを聞き逃してはならないのだと自分に言い聞かせる

 

病気を治すことも、老化を止めることもできないとき

究極 悔いのない死を提供できる舞台を整えるということになる

 

彼らのストーリーには意味がある

やり残したこと、後悔していることが、ポツリ、ポツリと小出しにされている

脚本家じゃないから、その日、その日でストリーは違うけど

その人の、ひととなりは変わらない

 

私の叔母は自分を「我々」と呼んだ

ちょっと危ない労組の匂いがした

キャリアウーマンの元祖という顔で生きていたけど

それは虚勢だった

 

千趣会の小皿を毎月楽しみにしていた青春時代がある

絵画の世界へ進みたいとずっと諦めずに道具をしまい込んでいた

だけど、妹や弟の学費を工面するために働き

そして、行き遅れた

妹、弟にそれを悟られてはならない

だから、自分を「我々」と呼んで鼓舞し、仕事にまい進した

 

本来ならば、私の母である彼女の姉がやるべき仕事を

彼女は夜学に通いながらすべて引き受けた

 

昼間の高校まで出た母は働くこともなく嫁に出た

そのことをずっと恨んでいたかもしれない

だから、彼女の幻覚の中に母は出てこなかった

だけど、悪い鬼にもされていない

これが叔母のひととなり

 

 

 

叔母は独身なのに3LDKの大きな家に住む

それは自身の姉との競争でもあったけれど

そこに家族みんなを集めたかったからだと奇妙な物語から知った

その夢は今

彼女の幻覚の中でちゃんと叶っている

この夢を壊してはいけない

それが悔いのない死の舞台の提供だと思うようになった

 

叔母の奇妙な物語の中には、優しさと少女のようなかわいらしさが詰まっている

 

時空をも超越した存在

それが認知症

本人の意思確認ができないことで、私は今、窮地にに立たされている

それでもこの物語は聞き逃したくない

そう思えるようになった

 

 

高齢者を狙った詐欺事件が後を絶ちません

だから仕方ないけれど、本人の意思確認が出来なければ何もできないのはちと??

家を売って介護施設へ入居したいが、意思確認できなければ家を売れない

家が売れたとしても、介護施設への入居金の送金を銀行が阻止する

そうなったら叔母は行き場を失います

 

何事にも意思確認の必要があるなら、介護保険を利用するに至ったら

ケアマネージャーは介護施設への入居を早急に手配するのが筋ではないでしょうか

住み慣れた家で最期を迎えさせてあげたいというのは刷り込まれた思い込みであって

今時は住み慣れた家で孤独死させてあげたいと同義になりあつつあります

叔母の様子を見る限り

夕食が作れないから6時に寝るという生活には尊厳の欠片もありません

 

もちろん、ヘルパーさんたちの親身なお世話に対しては感謝しかありません

ありがとうございます <(_ _)>

 

 

独居老人増加の一因に核家族化があります

しかし、これは入手できる家の規模が小さくなった日本の政策の結果でもあります

売る家がある人は幸いですが

背に腹は代えられず、涙をのんで思い出の家を売りに出すのに

意思確認ができなければ売れないというのなら

特養の待ち人数300人を保育園の待機児童と同じように早々に解消すべきでは?

 

景気回復を実感できない小金持ち以下から搾り取ることばかり考えないで

詐欺グループより先回りして高齢者の資産を有効利用させてほしいものです

 

まぁ、叔父・叔母の身元引受を頼まれなければ気づかなかった私に

こんな発言をする資格はないのかもしれませんが

気付いた人が誰かに伝えなければいけないと思いました

 

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叔母は福祉大国の北欧に憧れながら福祉の仕事をしていました